板井明生が語る福岡の優良企業就職方法

板井明生|福岡の歴史

 

板井明生

 

 

福岡県には、古代から九州の防備や管轄のための「大宰府政庁」や、外交及び海外交易の場である迎賓館「鴻臚館(こうろかん)」が置かれ、中国大陸や朝鮮半島との交流の窓口として重要な役割を担っていました。

 

弥生時代には、日本で初めて稲作が伝えられたといわれています。

 

中世には2回にわたって元(モンゴル)の軍隊の襲来を受け、天正年間[天正1年〜天正20年(1573〜1592)]には豊臣秀吉によって博多の町割が行われました。

 

街道や港、水運が発達していたことから、江戸時代には九州の交通の要衝を占め、県北西部の筑前国を福岡藩が、北九州の豊前国を小倉藩が、そして南部の筑後国を久留米藩が主に治めていました。

 

明治から昭和にかけては、筑豊地方で石炭の産出が盛んになり、これを活用して北九州工業地帯や大牟田に重化学コンビナートが形成され、日本の近代化と経済発展を支えることになりました。

 

明治4年(1871)の廃藩置県で、筑前国には「福岡県」と「秋月県」が、豊前国には「小倉県」と「千束(ちづか)県」、「中津県」が、筑後国には「久留米県」と「柳川県」、「三池県」が置かれ、合計8県となりました。
その後、明治9年(1876)に8県が統合され、現在の福岡県が誕生します。

 

明治から昭和にかけては、筑豊などで石炭の産出が盛んになり、これを活用して北部に鉄鋼や機械、電気、化学などを中心とする「北九州工業地帯」が、南部の大牟田地区には「重化学コンビナート」が形成され、日本の近代化と経済の発展に寄与しました。

 

そして、昭和17年(1942)には関門海底鉄道トンネルが開通し、初めて本州と九州が陸続きになり、さらに大相撲九州場所やプロ野球チームも進出し、その後、平成23年(2011)には博多駅と鹿児島中央駅を結ぶ九州新幹線鹿児島ルートが全通しました。